アンネの日記2014年10月04日

昨夜、市内での「アンネの日記」の上映会に行ってきました。国民救援会の近隣支部の方々でつくられた実行委員会主催で行われたものです。1959年に製作された映画で、もちろんモノクロでした。私は前にも観たような気がしていましたが、新鮮な感覚で観賞することができました。

 内容は、ご存知の方も多いと思いますが、ドイツ労働者党・ナチスの迫害や残虐な描写はなく、当時、13歳だった、アンネ・フランクが隠れ住んだ、屋根裏とも言えるところでの同居人・8人の人間模様を日記に綴ったのが中心です。アンネ一家はナチスの迫害から逃れるためにオランダに亡命、しかしオランダがドイツ軍に占領され、ユダヤ人狩りが行われるようになってから、隠れ家での潜行生活に入っていくのです。声も出せない、咳もできない、もちろん靴音も立てられないから裸足、という生活が2年間も続き、幾度となく見つかるのではないかという緊迫した場面があるのですが、それが当時のナチスの残虐な反ユダヤ主義を浮き彫りにしていました。なぜ人間同士が殺しあわなければならないのか、なぜ、信教の違いで迫害受けなければならないのかを問いかけ、戦争の無残さを考えさせられる映画でした。

 映画は、密告によって、隠れ家が見つかり、ゲシュタポ(秘密国家警察)が押しかけてくるところで、幕となります。

 その後は、隠れ家にいた8人全員がナチス強制収容所へ連れて行かれたといいます。アンネは姉のマルゴットとともに、ベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送され、収容所の不衛生な環境に耐え抜くことができずに、チフスを患い、15歳で命を落としたといわれています。

 第二次世界大戦後、アンネ・フランクの名が知れ渡り、ナチスの残虐行為が明らかになるにつれ、ホロコースト(ユダヤ人などに行った大量虐殺行為)否認論者による、アンネへの中傷、アンネの存在、日記の信憑性などへの疑問が出されているが、アンネを逮捕した当時のゲシュタポ軍人の証言で、アンネの実在が証明され、裁判などで日記が本物であるとの判決が下っているといいます。

 なぜか現代の「従軍慰安婦」の歴史的事実を消し去ろうとしている、動きと似ているような気がする。都合の悪いことを覆い隠そうとしても歴史の真実は歪められないし、消し去ることはできないことを物語っているのではないだろうか。




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